第13回 声


             石垣りん    

 釘に
 帽子がひとつ
 かかっています。

 衣紋かけにぶらさがっているのは
 ひと揃いのスーツ。

 本棚に本
 玄関に靴。
 石垣りんさんの物です。

 石垣りんさんは
 どこにいますか?

 はい
 ここにいます。

 はい
 このザブトンの温味が私です。

 では
 いなくなったら片付けましょう。

(一九六九年/『レモンとねずみ』(童話屋)収録)

 

 ひとり暮らしをしていた十五年ほど前は、都内で家賃五万円台の部屋を探していた。書店員の月給ではそれが限度だった。五万円台ならユニットバス付きワンルームの物件を、どの不動産屋も数件は持っている。選択肢はさほどないので、内見で妥協点をさぐり、その日のうちに契約する。のべ十年で五つの部屋に住んだ。他人と暮らした期間を除き、五部屋は多いほうだと思う。老朽化による建て替えなど、やむを得ない場合もあるが、いずれにせよ安月給の身には痛手だ。いま思えば慢性的な金欠に、当時は疲れきっていた。

 それでもいまなおひとりの生活に焦がれるのは、最後に暮らした部屋の記憶による。整備された区立公園のはす向かいに、そのアパートはあった。白壁にフローリングとごくありふれたつくりのワンルームだったが、窓からは公園の森がよく見え、季節ごとの木の香りがした。木々に囲まれていたせいか、緑色の部屋というイメージがある。これまで住んだどの部屋より居心地がよかった。持参した木の机と合板の本棚に加え、若草色の小さなスツールを買い足した。

 その部屋に転居したころ、わたしは恋情も含めた人と人の交わりにくたびれ、自分がつねに人前で正しくふるまおうとしてしまうことに、ほとほとうんざりしていた。その正しさは誰のためのものなのか、もはや自分にもわからないまま、その場しのぎの正論をふりかざす自分から逃走したかった。

 石垣りんの詩を好きになることが、ずっとできずにいた。教科書に掲載された詩はどれも、自制心に裏打ちされた正義に満ちているように見えた。印象が変化したのは九名の女性作家と父親の関係を綴る、梯久美子『この父ありて 娘たちの歳月』と、詩人のエッセイ集『朝のあかり』で詩人の生涯を知ったためだ。詩人は生家の経済を一手にひき受けながら、銀行を定年まで勤めあげ、詩を書きつづけた。結婚はせず、退職金で都内のマンションを購入すると、以後亡くなるまで川べりの1DKにひとり暮らした。女性の社会的地位がいまよりさらに低い時代に、労働者となるほかなかった彼女の強さと葛藤、五十歳で生家を離れ、ひとり営む暮らしの豊かさとさびしさ。教科書の詩では見出すことのできなかった詩人のゆれ動くまなざしが、散文の背にひっそり寄りかかっていた。

 緑色の部屋を出たのは妊娠が判明したからで、契約更新よりだいぶ前のことだった。自分のなかにもうひとりの生きている人間がいるという現実は、切り貼りの虚勢や場当たりの自我をかるがると凌駕し、当時は荷物をまとめることに幾分のためらいもなかった。石垣りんという詩人の人となりを知ってから、わたしはわたしという人間の漠然とした内部を、どうにか自分の言葉で確かめるため、ひとりの部屋を必要としたことを思い出した。それまで好きになれなかった詩人の目が、ふとわたしの虚ろを射ぬいたのがわかった。

 

大塚真祐子
文筆家・元書店員。
2022年より毎日新聞文芸時評欄担当、朝日出版社WEBマガジン「あさひてらす」にて「何を読んでも何かを思い出す」連載中。
執筆のご依頼はこちら→komayukobooks@gmail.com

 


 

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