第9回 地平線が消えた

地平線が消えた
              鮎川信夫
 
 ぼくは行かない
 何処にも
 
 地上には
 ぼくを破滅させるものがなくなった
 
 行くところもなければ帰るところもない
 戦争もなければ故郷もない
 いのちを機械に売りとばして
 男の世界は終わった
 
 うつむく影
 舞台裏で物思いに沈むあわれな役者
 
 きみがいたすべての場所から
 きみがいなくなったって
 この世のすべてに変りはない
 
 あってなきがごとく
 なくてあるがごとく
 欄外の人生を生きてきたのだ
 
 地べたを這いずる共生共苦の道も
 やがては喪心の天に至る
 
 忘られた種子のように
 かれは実体のない都市の雲の中に住む
 
 コカコーラの汗をうかべ
 スモッグの咳をし
 水銀のナミダをたらして
 四十七階の痛む背骨がゆれている

(一九七八年/『宿恋行』(思潮社)所収)

 

 大学の周辺には古本屋が5軒あった。よく覗いたのは居酒屋の近くにあるOだった。入口はいって右の小部屋のような空間に、白い背の思想書がぎっしりと並んでいた。友人が口にする思想家の名を目で追い、そのいくつかを手にはしたものの、値付けのしっかりした店だったこともあり、なかなか買いもとめることはできなかった。
 Oの向かいにはいわゆる新古書店があり、店構えはチェーン店のそれだが、品揃えと値付けが他店とはまったく違った。刊行の古いものが一律で安くなるようなことはなく、希少な本がきちんと分類されていた。いくつか存在するフランチャイズ店舗のひとつらしく、Oへ寄ってから新古書店へというのは、学生のころの定番の暇つぶしだった。
 大学のそばを下るゆるい坂道のなかばにあったK書房は、半地下のような造りをしていた。品ぞろえにさほど特徴はなかったが、だからこそ雑多に本を探すことができた。その他線路沿いにある横に長い建物のY書店や、大学の正門前にあった老舗のA書店などがあるが、A書店の跡地に移ったK書房と新古書店を残し、あとは移転や閉店でなくなってしまった。
 本棚にある詩や詩論の本は、学生のころに古本で購入したものも多く、裏表紙の見返しに、いまはもう存在しない店舗の、当時の値札がそのままついている。そのうちの一冊に「現代詩の実作 詩の生誕の現場」と銘打たれた、一九八一年十二月臨時増刊号の『現代詩手帖』があり、「作者による読解」の章の巻頭には、鮎川信夫が「「地平線が消えた」自解」を書いている。
「荒地」の詩人で鮎川信夫だけ、なかなか手を伸ばすことができなかったのは、難解というのとも少し違い、詩も散文も書かれたものがあまりに明晰で、読み手の自分の入る隙がないように思われたからだ。しかし、この古い『現代詩手帖』に収録された自解はつと残るものがあった。詩人はこの詩に〈私の半生が封じこめられて〉いると綴り、〈言うまでもなく、ここに出てくる「ぼく」も「きみ」も「かれ」も、私の影である〉と言いきる。地平線へのこだわりは、堀田善衛の〈地平線がどこにあるかわからん絵なんてつまらんよ〉という発言と、「荒地」の歴史をひもとくときにしばしば言及のある、森川義信の詩作「勾配」によるものだとしている。
 この自解は詩人が急逝する五年前、六十一歳のときに書かれているが、こんなふうに率直に自分や、自作について語る人だったろうか、というのがまず一読後の印象としてあった。この文章の二年後の一九八三年に、詩人は詩を中断すると公に宣言するが、この自解こそが空と地にはさまれた地平のような、ある極限の「狭間」のような場所で書かれていたのかもしれないと思う。若い時分に読んだときには気づかなかった、詩人の老いの気配のようなものも、この自解からかすかに感じとることができる。

 

大塚真祐子
書店勤務。2022年4月より、毎日新聞文芸時評欄にて書評を担当。朝日出版社WEBマガジン「あさひてらす」にて、エッセイ「何を読んでも何かを思い出す」連載中。絲山秋子著『夢も見ずに眠った。』(河出文庫)解説を担当。

 


 

目次