星吐く羅漢

江崎満 著

石川県奥能登に腰を据え、農作業の合間に版画を作り、手作りの窯で焼き物をする。従来の芸術界とは無縁の世界から誕生した破天荒な版画家、江崎満。日本各地で個展を開く彼の周りには作品に魅了された人が作る温かい輪ができる。昆虫たち、ふくろう、かえる、木々、田圃の稲、畑の白菜などが画面いっぱいに飛び回る江崎の版画作品は、まるで今さっき土から生まれてきたような生々しさをたたえている。

本書は、版画家、江崎満が2年をかけて書き下ろした、ファン待望の初めてのエッセイ集。禅寺を取り囲むようにして数家族が暮らすという独特な生活のこと、農薬を使わない米づくり、障害を持って生まれた息子のことなどを語る、飾り気のない言葉。悩み、ぶつかりながらも、まっすぐに生きようとする姿は胸を打ち、好奇心で目をキラキラさせながら、山を駆け回り、海で潜る姿は微笑を誘う。江崎満のことばは、私たちに熱い何かを注ぎ込んでくれる。

 

■著者

江崎満(えざき・みつる)

1952年、広島県江田島生まれ。京都、横浜暮らしを経て、現在、石川県の奥能登山中に腰をすえて百姓仕事に精を出し、版画を制作、薪窯で焼き物作りに励む。毎年、東京・大阪・奈良・山口・博多など各地で個展を開催し、人気を得る。ゴツゴツとして躍動感にあふれ、ぬくもりのある作品は多くの人の心をとらえて離さない。著書に『銀河国よろみ村 いろはにほへと』(架空社)、『たったひとつの』(あすなろ書房)。

 

■書評

能登に生きる

1

輪島市三井町与呂見の「よろみ村」を拠点に創作活動を続ける版画家がいる。横浜から十七年前に移り住んだ江崎満さん(五〇)である。県内外での個展活動を通じて根強いファンをつかんでいる。

北村氏は東大仏文科卒。高校時代は田村隆一氏と同窓で、のちに「荒地」のメンバーとして田村氏や鮎川信夫、中桐雅夫氏らとともに作品を発表した。だが、他の荒地派詩人とはやや趣を異にして、「港の人」「墓地の人」「センチメンタル・ジャーニー」など都会の倦怠と憂愁を比較的平明な言葉で述べた作品が、若い詩人たちに大きな影響を与えた。

金沢から寺を移した村田和樹住職(五三)の弟と知り合いだった縁でここにたどり着いた。その理由は「人生の二回戦したい」である。

江崎さんは半生を描いた「星吐く羅漢」と題した本を近く出版するが、一冊の本では収まり切れないほど、さまざまな体験をしてきた人である。

広島県江田島生まれで、高校は山口県の進学校に通った。トインビーの著作を通じて東洋思想に関心を抱き、京都の仏教大学へ。だが、講義はまったく期待はずれだった。

「単なる知識仏教、学究仏教。知識を切り売りするだけで、ここには生きた仏教がないと大学そのものに興味を失った」

実家からの仕送りはな<、専らビル解体の仕事に精を出した。こんな学生時代だったという。

「現場から『監督さん、すんません』とダンプで大学へ行き、地下足袋のまんま教室へ入って『江崎君』『はい』って言ってすぐ現場へ戻る。わやくちゃな生活でした」

大学を七年かけて卒業後、横浜へ移り、庭師や運転手、港湾労働者、漫画の原作家など職を転々とした。版画と出会ったのは結婚後である。

生れた男児は重度の脳性マヒだった。名前は「海」。その子を見ているうちに絵にしたいという衝動に駆られた。テレビで版画家、棟方志功の制作風景が放映されていた。ハアハアと息を切らして版木に向かう姿に目を奪われ、子供の顔を彫った。これが版画を始めたきっかけである。

「海君と格闘しているうちに、それまでの自分の在りようが変わった。都会では力が抑え込まれる感じがして、どうも自分らしくない。版画を出発点に、自分をさっぱり全面展開したいという気持ちになった」

仏教への関心が再びわいてきたのも、その時期だった。自分の問題として仏教の教えが具体的に浮かび上がってきたのであろう。江崎さんは「海を通じて自分自身に出会えた」と言う。

「よろみ村」では学生時代からの経験を生かし、自力で家を建てた。農業を営みながら版画のほか、焼き物も作るようになった。だが、ここでの生活も決して順調だったわけではない。

「今の日本で自給自足はありえない。畑を掘ってもガソリン出ないし、生命保険に入らなくても国民健康保険には入りたい。山暮らししというのは野蛮ですよ」

海君はこの土地に移ってから九歳で亡くなった。自然の中で暮らし続けて十七年。生命の躍動感あふれる江崎さんの作品は「よろみ村」でしか生まれないものである。

2

創作の場を求めて都会から能登へ移り住む人たちがいる。豊かな自然、風土とモノづくりはどうかかわっていくのか。輪島市三井町与呂見、「よろみ村」の版画家江崎満さん(50)の生き方から一つの世界が見えてくる。

江崎さんの家は「よろみ村」を見渡す小高い丘に建つ。二階の仕事部屋は壁全体がガラス張り。そこに入ると雑木林の中に浮かんでいるような気分である。

版画に登場するモチーフは、トンボやカエル、鳥、魚などである。お経を唱えるナマズもいる。ただ、江崎さんは造形やデザインの面白さだけでこれらを彫っているわけではない。

「図鑑を見てトンボをつくるのと飛んでいるトンボをつくるのとでは絵の中身が全然違う。ここではヤゴがふ化するところから見える。そうした風景は自分を生き生きさせてくれるから美しく映ったりする。つまり生活が何かをつくらせているんじゃないですか」

江崎さんは十代から仏教への関心があった。結婚後、重度の障害を持つ長男と一緒に過ごし、生きている仏教に出会った。長男の死を見届け、自然とともに暮らす中で宗教観は一層深まった。

横浜から移り住んだのは十七年前。すでに金沢から寺を移した村田和樹住職が田畑を耕していた。単に自然に囲まれて生活するだけでなく、農業で汗を流して見えてきたものもある。

トマトの露地栽培を続けるうちに、トマトは赤い実だけでなく、青い葉や茎も含めて植物全体がトマトであることに気づいた。さらに養分や水分を提供する土や降り注ぐ太陽、空気。これらすべてがトマトに思えたという。

「そんなふうに考えると、見ている自分までがトマトだと思えてくる。トマトを自分に置き換えたらどうなるか。ここで暮らしていると、人間がさまざまなつながりの中で存在していることがよく分かる」

仏教でよく言われる人間の在りよう、宇宙観が具体性を帯びて伝わってくる。版画に登場する動物、植物はすべてそうしたつながりの中で描かれる。

話が進むうち、江崎さんは「版画でメダカやトンボをつくっているわけではない。それは仏さんをつくっているのと同じかもしれない」と言い始めた。自然のつながりを感じながらモノを生み出す極めて宗教的な世界である。

「自分という人間をめいっぱいやりたいんですよ。何かをつくるというのでなく、自分が生きている呼吸やリズムを刻みたい自分と同時にすべてのものたちが存在する、その感動を表してみたい」

三十歳を過ぎて版画を始めた江崎さんが「よろみ村」でたどり着いた境地である。その作品はまさに「生命賛歌」と言ってよいだろう。

 

「北国新聞」朝刊2003年5月4日、5日


季刊「銀花」2003年秋 第135号


季刊「チルチンびと」2003年秋 No.26


「ソノコト」2003年7月号

 

  • 四六判/上製本/糸かがり/カバー装/本文233頁(うちカラー12頁・版画作品12点所収)
  • 2,600円(本体価格・税別)
  • 2003年5月刊
  • ISBN4-88008-287-2 C0095