加賀の下級武士の藩政期と維新後 森田柿園の記録から

鈴木雅子 著

幕末から維新、明治へと激動の時代を生きた加賀の武士、森田平次(柿園)の生涯と当時の金沢の実相を描く壮大な歴史物語。

加賀藩(石川県)の武士、森田平次(号は柿園、1823〜1908)は家の記録『柿園日記』全8巻をまとめていた。本書は、その貴重な日記を詳しく研究し、激動の時代を生き、武士から石川県の役人になり活躍した森田平次(柿園)の生涯をたどる。さらに金沢の市民の暮らしや世相、加賀方言、ことわざなどを丁寧に語る。本文の当時の語句に注をつけて詳細に説明する注の言葉が素晴らしい。石川県の近代史に光をあてた力作が誕生する。

 

■「はじめに」より

先祖のことを調べはじめた頃、石川県立図書館におられた伊林永幸氏から、平次が所有していた「能登国四郡公田田数目録案」が戦後行方不明になっていて、歴史学の方々が心配している、と伺った。そこで思い立って実家の押し入れを探したところ、「公田田数目録案」の他に、盛昌筆の『咄随筆』や『柿園日記』、外與吉の『霞園日記』などの数々が見付かった。戦災を免れて本当によかったと心から御先祖様に感謝したことであった。私は大学で国語学を専攻したので、理学部や経済学部出の兄達と比べ、昔の読みにくい文字なども少しは読めたから、父から森田家関係の古文書類を托され、それから少しずつ調べはじめたというわけである。『追跡 一枚の幕末写真』(鈴木明、一九八四・集英社)に「幕末・明治以来わずか百年、長命の人ならば、まだ生きている人もあり得るという年月なのに、わずか百年前の先祖の姿を知っている人は、わが日本人の中で、殆んどいないのである。」とあるが、私の場合は平次、外與吉と書きついでくれていたおかげで、百年前、二百年前の事も分かるのだから、私は有難いこの祖先達にただただ感謝するばかりである。

(中略)

それにしても、これは特別の家というわけでもない、ただの「森田」という家であって、他人には余り興味もないだろうし意味もないものなのである。何か意味を見付けるとしたら、古い時代の一寸珍しい事などが書かれている点に、歴史的・社会的・民俗的などの意味が見付け出せることかもしれない。明治以後、戦争とか震災とかの為に、多くの家々に伝えられたものが焼けたり散逸してしまったりしたと思われるが、失せもせずにこうして遺されているという事は、やはり珍しい事だと思うので、その意義を認められるようなものは発表してゆこうと思う。

前おきが長くなったが、平次を知るためにまずその系譜をたどることから始める。このもとになる主なものは『森田家譜』『柿園日記』である。加賀藩の陪臣に過ぎない、小身の武士の家系を発表するなど、まことにおこがましい限りであるが、微禄の武士の家の歴史の、一典型として、それなりにさまざまの浮沈を経ながら受けつがれ、一つのドラマを織りなしており、一応興味あるものと思われるので、お許し頂きたいと思う。

 

■著者

鈴木雅子(すずき・まさこ)

一九二八年東京生まれ。旧制東京大学文学部卒。石川郷土史学会会員。近世の日本語を研究する傍ら、故郷金沢に伝わる昔話や加賀方言を丹念に掘り起こす。

また先祖の森田家に遺された古文書を解明してまとめるなど郷土史の発展に尽力する。

日本語、郷土史関係の著書、論文は多数ある。旧姓森田。

主な著書

『「咄随筆」本文とその研究』風間書房 1995年

『金沢のふしぎな話 「咄随筆」の世界』港の人 2004年

『江戸小咄 鹿の子餅 本文と総索引』(新典社索引叢書14)共編著 新典社 2006年

『金沢のふしぎな話Ⅱ 「続咄随筆」の世界』港の人 2009年

『宝暦二年 当世下手談義 本文と総索引』共編著 青簡舎 2010年

『安永九年 当世阿多福仮面 本文と総索引』共編著 港の人 2013年

『金沢の昔話と暮し、ならわし 「冬夜物語」の世界』港の人 2014年

『山東京伝 善玉悪玉心学早染草 本文と総索引』編著 港の人 2016年

 

■目次

凡例

一 はじめに

二 森田家の系譜

三 茨木氏と給人の森田家

四 明治維新後の森田平次

五 県官辞任後の森田平次

六 森田平次の人物像

七 歴代の暮らしむきと言い伝えられた逸話

八 記録から見た世相の一端

九 柿木畠と柿園舎

附録一 森田柿園『幸若舞曲考』

附録二 森田盛昌『宝の草子』

附録三 亨保期から伝来する無表題の秘伝書

 

 

  • A5判/上製本/函入/本文484頁
  • 6,000円(本体価格・税別)
  • 2019年9月刊
  • ISBN978-4-89629-365-4 C0023