エリザベス・ビショップ 悲しみと理性

コルム・トビーン 著
伊藤範子 著

アイルランドの人気作家、コルム・トビーンが、アメリカの詩人、エリザベス・ビショップの作品と生涯を辿る、詩的な文芸エッセイ。

エリザベス・ビショップは、20世紀アメリカにおいて最も優れた詩人の一人であり、その作品は今も多くの人に愛され、また近年はセクシュアリティの面からも注目を集めている。両親や恋人の死など苛酷な喪失体験を抱えながら、その悲しみや痛みを抑制された精密な詩として構築し、寡作ながら、発表したどの作品も高い評価を受けた。 アイルランドの作家、コルム・トビーンは、本書においてビショップの人生と作品をていねいに繙き、詩の言葉にこめられた詩人の感情と思索の遍歴を辿るが、それは、語られなかったこと、詩に隠された偉大な沈黙の姿を浮き彫りにすることでもあった。トビーン自身の内部にある孤独や葛藤が、ビショップの詩の底を流れる絶対的に孤独な魂のありようと響き合うとき、人生の悲しみは普遍化され、文学へと通じる道となる。ビショップの詩や書簡の言葉を散りばめたこの美しいエッセイは、詩が照らし出す希望へと私たちを誘う。

 

■エリザベス・ビショップについて

1911─1977。アメリカの詩人。1956年のピューリッツァ賞、70年の全米図書賞など、数多くの賞を受賞。マサチューセッツ州、キー・ウェスト、ブラジル、ボストンなど居を移しながらも、同時代の詩人たちと交流をもち、当時の詩をリードする一人として活躍した。

関連書に『エリザベス・ビショップ詩集』(土曜美術社)、『めずらしい花、ありふれた花』(水声社)など。

 

■本文より

「訳者まえがき」(抜粋)

現代中堅アイルランド作家、コルム・トビーンが、彼の崇敬するアメリカの詩人、エリザベス・ビショップの人生と芸術の検証と探求を目指す本書において展開するビショップについての彼の解釈は、彼自身の抱く人生と創作における関心と深くかかわっている。この本は、事物をそれそのものとして直視することと、感情をそのまま出さないことというビショップ詩の本質に照明を当て、個我の覚醒、核としての故郷、人生における喪失と癒しなどが章分けされて論じられている。二十世紀半ばの告白詩の流れを疑問視していたビショップは、ことがらについて明かし述べるのではなく、言わないこと、隠すことにこそ真実があるという姿勢を取った。ビショップの詩は、深刻な局面が追跡されている、すると突然事実が明らかにされる一瞬があるという感じがある。しかし、それはナゾが明かされるというものではないし、それを知ろうとすれば、行間に隠された真実を静かに見つめることが大事なのである。

 

■著者

コルム・トビーン(Colm Tóibín)

1955年生まれ。映画「ブルックリン」の原作小説などで知られる、いま最も人気のあるアイルランドの作家。

おもな邦訳書に『ヒース燃ゆ』『ブラックウォーター灯台船』(ともに伊藤範子訳、松籟社刊)、『マリアが語り遺したこと』『ノーラ・ウェブスター』(栩木伸明訳、新潮社刊)、『ブルックリン』(栩木伸明訳、白水社刊)がある。

 

■訳者

伊藤範子(いとう・のりこ)

1944年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、名古屋大学大学院博士過程中退。帝塚山大学名誉教授。専攻はアイルランド文学。

おもな著書に『近・現代的想像力に見られるアイルランド気質』(共著、渓水社刊)、『文学都市ダブリン ゆかりの文学者たち』(共著、春風社刊)、おもな訳書にコルム・トビーン『ヒース燃ゆ』『ブラックウォーター灯台船』(松籟社刊)、ブライアン・ムーア『医者の妻』(松籟社刊)などがある。

 

■目次

訳者まえがき 伊藤範子

ささやかすぎるディテールはない/私は一人/村にて/喪失の技巧/自然が目に出会う/キー・ウェストの秩序と無秩序/歴史からの逃避/悲しみと理性/ただで手に入るわずかなもの/芸術ってその程度のもの/バルトーク・バード/愛の努力/北大西洋の光

 

 

  • 四六判変型/上製本/本文280頁/カバー装
  • 1,800円(本体価格・税別)
  • 2019年9月刊
  • ISBN978-4-89629-363-0 C0098