青春時代に親しんだ漫画、映画、文学を愛情豊かに語って好評を得た前著『ノスタルジックな読書』につづく第2エッセイ集。
文学への一途な思いを胸に抱き生きてきた女性が、思い出をつなぎ、書き記した心の記録。祖父から父へ、父から自分へ。三代にわたって読書を愛する家族の来歴が、のびやかに語られる。
■跋文
大島さんによって書き留められた過去の事象も過去の人びとも、
やわらかな光のなかであたらしい永遠の命をあたえられている。
山本勉(清泉女子大学教授)
器用な書き手は世の中にありふれているが、この作者はそういうタイプではない。
関心の幅が広いのかも知れないし、あらゆるテーマに貪欲なのかも知れない。
菊田均(文芸評論家)
■収録作品より
「手塚治虫の記憶」
私は手塚治虫に三回会ったことがある。
一度は有楽町(今はなき)そごうの最上階にあるよみうりホールであった虫プロアニメの上映会の時、たぶん一九八〇年頃だったと思う。映画上映後の講演と質疑応答が終わり、ホールの外のエレベーターの前で妹と話していたら、彼が花束を両手に抱えて急ぎ足でやって来て、ホールの関係者と軽い挨拶を交わすとあっという間にエレベーターに飛び乗っていなくなってしまった。
子供の頃からの憧れの手塚治虫の実物がほんの一メートルぐらい先の至近距離を走り抜けて行ったのを、私はただただ呆然として見ているだけだった。声をかけたり握手を求めたり、ぐらいのことはできたのかもしれなかったが、私はとてもそんなことができるような性格ではなかった。ただ、思っていたより大柄な人で、声が大きくてよく通るなあ、と、そんなことをぼんやり思っていた。
その次はたぶん一九八六年頃。ある美術展覧会が新宿のデパートであって、たまたまそのレセプションの会場に入れる幸運に恵まれたことがあり、そこで出席予定者の中にいるはずの手塚治虫をずっと待っていた。もう会場が一杯になり、そろそろ乾杯、という時になって、ふと斜め後ろを見たら、ちゃんと彼が人に囲まれて立っていて、一緒に乾杯をしているのだった。私はやはり、さりげなく彼との距離をつめて立って、じっとそっちを見ていた。あまりじろじろ見るのも失礼かと思ったので、できるだけ何気なく……手塚治虫はまたしてもあっという間に駆け足で会場からいなくなってしまった。
彼が一日の睡眠時間が一時間程度ということもあるぐらい、分秒刻みのスケジュールで漫画を描き、ネタとなる資料を読んだり映画を見たり、催しに出たりしている、という話は聞いていたけれども、本当だったんだなあ、とつくづく思った。私が見た三回とも、彼は移動の時には走っていた。普通の人の数倍の速さで人生の時間を走り抜けている、そんな感じがした。(後略)
■著者
大島エリ子(おおしま・えりこ)
1956年東京都武蔵野市生まれ。鎌倉市在住。
上智大学文学部ドイツ文学科卒業。
1992年、『スティーヴン・キングにおける場所と時間』で関西文学賞文芸評論部門受賞。93年、『映像に見るUSA NOW』でコスモス文学賞評論部門受賞。
94年より文芸同人誌『時空』同人。
著書に『ノスタルジックな読書 コミック・シネマ・小説』(港の人、2018年)
■目次
跋文
「〈おもかげびと〉のために」山本勉
「多様性と熱気」菊田均
外国映画の中の日本人 『ブラック・レイン』をめぐって/佐藤史生の作品世界/イラスト「ジュシィアンとマーティン」江戸川留生/『火星年代記』のことなど/司馬遼太郎と『燃えよ剣』/座敷童/手塚治虫の記憶/漫画「初夢」「ママは宇宙人」五十嵐和子/「エイリアン」という現象/七〇年代少女漫画の少年像 吉田秋生をめぐって/ヤクルトファンという生き方/漫画「野球選手に会った日」大島繭子/病める薔薇 吸血鬼伝説をめぐって/おもかげびと
あとがき
- 四六判/並製本/カバー装/本文272頁
- 1,800円(本体価格・税別)
- 2019年7月刊
- ISBN978-4-89629-361-6 C0095