今を生きるための般若心経の話

奥村正博 著

◎師・内山興正老師の誓願を継ぎ、アメリカにおいて布教に尽くし、仏典の翻訳、解説など数多くの英語の著作をもつ奥村正博老師、日本での初めての著書、待望の刊行。

◎キリスト教信者に向けての講義をもとにした「般若心経の話」は、仏教用語をなるべく使わずに、ていねいにやさしく解説。般若心経の伝えるエッセンスは何か、私たちの人生にどのようにいかしていけばよいのか、まっすぐな言葉で届ける。

◎半生記「只管打坐の道」は、安泰寺での修行、内山老師の思い出、アメリカでの布教、仏典の翻訳など、禅ひとすじの歩みを語る。

◎藤田一照(オンライン禅コミュニティ磨塼寺住職)による序文「私の知る奥村正博さんのこと」は、古くから親交のある奥村老師の人柄、生き方をぬくもりのある筆致で紹介している。

 

■本書より

「私の知る奥村正博さんのこと」(部分)

いかにも正博さんらしいとても丁寧で細かい、それでいて坐禅修行者の面目躍如たる地に足のついた解説に新たな感動を覚えた。巷にたくさんある『般若心経』の解説書とは一線を画するものとして、広く読まれるべき本だと信じる。本書が、海外で活躍する奥村正博という禅者の存在が日本の心ある人々に知られるきっかけになることを願っている。

藤田一照(オンライン禅コミュニティ磨塼寺住職)

 

■本書より

「菩薩」は、道を求める人です。成道して仏さんになられる前のお釈迦さんを仏伝文学で「菩薩」と呼んでいました。サンスクリット語では「ボーディサットバ」です。ボーディは「菩提」です。「目覚め」ということです。サットバは意味で訳すと「有情」、心や感情をもった存在、要するに人間のことです。だから菩提薩埵、ちぢめて菩薩というのは「目覚めた人」という意味です。

「目を覚ました人」というと、誰だってみな目を覚まして生きているだろうと思われるでしょうけど、仏教では普通の人間は目が覚めていない、夢や幻のなかで生きているというのです。人生というのは夢のようなものです。その夢のような人生が、夢のようなものだとわかることが、目が覚めるということなのです。われわれみな、現実、現実といって、われわれが考えている現実が確固として存在するようなつもりで生きているわけですが、現実というのはわれわれが思っているほど確固不動のものではないとわかることが、夢から覚めるということなんです。

目が覚めただけでは駄目なので、その目を覚ましたところで誓願をもって生きていくわけです。夢幻のような現実をどうやって生きていくか、その生き方を求めて聞法修行していくのが菩薩です。夢幻のようなものであっても、しかし、それがわれわれにとっては、唯一の現実なのですから、どうでもいいと無責任に生きていくことはできません。

「菩提」というサンスクリット語は、中国語では「道」と意訳されます。「菩提心(目覚めた心)」の訳語が「道心」です。「求道心」ともいわれます。道を求める心が、目覚めた心です。菩薩は、ですから、道を求める人です。人間が現実、現実といっているものの虚しさに目を覚まして本当の生き方を求める人、という意味です。

 

■著者

奥村正博(おくむら・しょうはく)

曹洞宗僧侶。アメリカ合衆国インディアナ州 三心寺住職。曹洞宗北アメリカ開教センター(現、曹洞宗国際センター)初代所長。

1948年大阪生まれ。1970年、紫竹林安泰寺で内山興正老師より出家得度を受ける。75年に渡米。81年までパイオニア・バレー禅堂創立にかかわる。その後、日本に帰国し、京都禅センターにて坐禅の指導、道元禅師や内山興正老師の著書の翻訳を始める。93年に再渡米、ミネソタ禅センター主任教師を務めた後、96年、三心禅コミュニティを創設、2003年インディアナ州ブルーミントンに三心寺を開山する。「正法眼蔵随聞記」「永平清規」「永平広録」、内山老師の著書の英訳、英語による仏典の解説書など、多くの著書・訳書をもち、それらの一部は、フランス語、イタリア語など各国語に翻訳出版されている。

 

■目次

「私の知る奥村正博さんのこと」藤田一照

 

般若心経の話 渾身口に似て虚空に掛かる

一、般若心経の歴史的背景/二、般若の智慧/三、五蘊皆空/四、色即是空/五、是諸法空相/六、十二処、十八界/七、十二因縁、四聖諦/八、無所得/九、遠離一切顛倒夢想/十、是大神呪

 

只管打坐の道 私の歩み

 

「すすめの言葉――東と西」奥村一郎

 

奥村正博 著作リスト

 

 

  • 四六判/並製本/カバー装/本文232頁
  • 1,600円(本体価格・税別)
  • 2018年7月刊
  • ISBN978-4-89629-349-4 C0015