ノスタルジックな読書 コミック・シネマ・小説

大島エリ子 著

◎1970年代に多感な青春を謳歌した文学少女が贈るノスタルジックな読書案内。コミックでは、森川久美、ますむらひろし、樹村みのり、つげ義春、諸星大二郎といった漫画家を取り上げ、シネマでは、スティーヴン・キングの世界から、怪獣映画、女性アクション映画までを縦横に語り尽くす。

◎小学生の頃繰り返し読んだ『赤毛のアン』、詩人アルチュール・ランボオ、中島敦、矢田津世子などと多岐にわたり文学に深く親しむ。そして、野球を軸に、映画、マンガをからめて家族愛物語を展開する「ノスタルジック・ベースボール」は圧巻だ。そう、芸術や文学を夢見て愛することは、いつの世にも心ゆたかに生きる源泉なのだ。

 

■跋文より

知と感性のダンスのような、蝶が花から花へと軽やかに飛び回るような機敏でしなやかな移動、それをつかさどっているのは著者の文章の美しさなのである。本書のどのエッセイにも、この流れる滝の水のような美しいエクリチュールが溢れている。

富岡幸一郎(文芸評論家)

 

■本書より

「樹村みのりの世界」

樹村みのりは1949年生まれで、いわゆる団塊の世代、少女漫画の昭和24年組の一人でもあることになります。この世代の漫画家の人たちが70年代の少女漫画に新しい潮流を作り、それまでの少女漫画の枠をはずして漫画界全体に活気をもたらし、その後の漫画に大きな影響を及ぼしていくわけですが、後から思えばそうだったということで、当時10代の一読者だった私にとっては単に「最近は面白くて読みごたえがあって感動できる漫画が増えたなあ」ぐらいの感じでした。

樹村みのりは15歳(1964年)には既にデビューしていますが、そういった初期の頃から、戦死した父親のことを知らされる少年の心の痛みを描いた『トミイ』など、反戦テーマの作品が見られます。ベトナム戦争を描いた『海へ』は、平和な海岸を駆ける少年の夢を描き、タルコフスキーの『僕の村は戦場だった』を思い出させます。樹村みのりの同世代感覚として、当然ながらベトナム戦争は大きな意味を持っていたのだろうと感じさせられます。

『星に住む人びと』(1976)は、75年4月のベトナム戦争終結の歴史的事実を漫画の中に描き込んだ、少女漫画としては珍しい作品かと思います。第二次大戦後数年たって生まれたある少女の成長過程を淡々と描き、その背景としてベトナム戦争や戦後の歴史のニュースが自然に挟まってくる短編で、ごく日常的にそういった歴史を意識していたある世代の感性が生き生きと伝わり懐かしさを覚えます。

この作品の中で軸となっているのは、戦後すぐに5歳で亡くなった少女の姉の想い出であり、この不在の女の子は彼女に会ったこともない妹の人生の節目ごとに、その頃の姿のまま想起され影響を及ぼすことになります。戦争の犠牲となった家族の想い出が、時代の背後にあるもう一つの戦争、ベトナム戦争につながっていき、やがて自分の生き方を見つけていく妹の心の成長がパラレルに描かれていく。ベトナム戦争の終結は彼女たちの世代にとって一つの時代の終わりを象徴していたのだということも分かります。(後略)

 

■著者

大島エリ子(おおしま・えりこ)

1956年東京都武蔵野市生まれ。鎌倉市在住。

上智大学文学部ドイツ文学科卒業。

1992年、『スティーヴン・キングにおける場所と時間』で関西文学賞文芸評論部門受賞。93年、『映像に見るUSA NOW』でコスモス文学賞評論部門受賞。94年より文芸同人誌『時空』同人。

 

■目次

「ジャンルを超えた文章の魅力――『ノスタルジックな読書』に寄せて」富岡幸一郎

 

I

森川久美の夢/ますむらひろしの猫/樹村みのりの世界/懐かしきつげ義春/諸星大二郎の不条理漫画/山岸凉子のバレエ漫画など

 

II

スティーヴン・キングにおける場所と時間/少年集団ものの小説と映画のこと/わが愛しの怪獣たち/女性アクション映画の魅力

 

III

赤毛のアンと私/二人の男性名女性作家/アルチュール・ランボオを追って/火炎樹の下で/YOKOHAMA=BLUE/「中陰」の思想と半生者について/パラオにおける中島敦/矢田津世子のこと

 

IV

ノスタルジック・ベースボール

 

あとがき

 

 

  • 四六判/並製本/カバー装/本文304頁
  • 1,800円(本体価格・税別)
  • 2018年5月刊
  • ISBN978-4-89629-347-0 C0095