言葉の木蔭 詩から、詩へ

宇佐見英治 著
堀江敏幸 編

◎宇佐見英治生誕100年記念出版。死とすれすれの過酷な軍隊体験を刻んだ戦中短歌、戦後のジャコメッティ、宮沢賢治を語った代表作、最晩年の単行本未収録作品、初公刊する辞世の句(自筆)などをおさめ、生涯の思索の軌跡をまとめる。自筆略年譜、著書一覧付。

◎宇佐見英治は、辻まこと(詩人・画家)、矢内原伊作(哲学者)、ジャコメッティ(彫刻家)、志村ふくみ(染織家・随筆家)らと親交し、その密度の濃い交流を数々の随筆に著した。堀江敏幸のいう「絶対の友情」を表した、「一茎有情 春の章より」など珠玉の散文をおさめる。

◎巻末には、宇佐見森吉の、戦後の父の著作活動の根っこを考える「スマトラからスタンパへ」、編者堀江敏幸の、宇佐見英治の魂と思索のあり方を語った「あらぬものへの呼びかけ」の文章をおさめる。おふたりの宇佐見英治の思索の核心にふれる文章はまた、宇佐見英治への深い思慕が溢れていて美しい。

◎手帖、書斎風景、愛用の天眼鏡などの写真をふんだんにおさめ、故人をしずかに偲ぶ。

 

■収録作品より

「法王の貨幣――ジャコメッティの思い出に」(抜粋)

夕陽がオレンジ色に雲かげを染めたあの透きとおったコモの湖畔、コリコの寒駅のプラットフォームをどうして忘れることができるだろうか。彼(引用注、ジャコメッティ)は前日わざわざ、私のためにパリ行きの国際列車の個室の切符を予約し乗車券まで買ってくれた。そしてその日の午後は仕事を休み、ハイヤーで谷を下って湖畔におり、ミラノ行きの汽車が出るその駅まで私を見送ってくれた。まるで伯父か年長の兄であるかのように。列車が入る直前、私たちは別れの抱擁をかわした。

ミラノ行きの汽車に乗りこむと、私はこの汽車がミラノにもパリにも寄らず真すぐ日本へ走ってくれるなら、としきりに願った。そして急に一刻も早く、東京へ帰り、私も仕事をせねば、一日も早く仕事にかからねばと思った。大切なのは土地でもなく風景でもなく、文化や文明の質でもない。大切なのは、創造に仕えること、仕事をとおして生成の鼓動をききとり、世界と一体になることである。大切なのは人間であり、愛であり、中心を目指す方向、極限を生きつらぬくことである。胸にわきのぼるさまざまな思いを反芻しながら、私は涙に曇った眼で車窓が暮れてゆくのを見ていた。

 

■著者

宇佐見英治(うさみ・えいじ)

1918年、大阪に生まれる。詩人、文筆家。『同時代』同人として活躍、美術評論や翻訳も多数。とりわけ明澄な散文で知られる。『美術手帖』に寄稿したジャコメッティ紹介記事(1955年)を留学中の矢内原伊作に託したことが、矢内原がジャコメッティのモデルを務める最初のきっかけをつくった。片山敏彦、齋藤磯雄、辻まことらと親交し、その歿後は著作集等の編集に尽力。2002年死去。 著書に『ピエールはどこにいる』(東京創元社、1957)『迷路の奥』(みすず書房、1975)『石を聴く』(朝日新聞社、1978)『雲と天人』(岩波書店、1981、歴程賞)『三つの言葉』(みすず書房、1983)『芸術家の眼』(筑摩書房、1984)『一茎有情』(共著、用美社、1984)『戦中歌集 海に叫ばむ』(砂子屋書房、1996)『明るさの神秘』(小平林檎園、1996、宮澤賢治賞)『死人の書』(東京創元社、1998)ほか。編書に矢内原伊作『ジャコメッティ』(共編、みすず書房、1996)ほか。訳書にバシュラール『空と夢』(法政大学出版局、1968)ほか。

 

■編者

堀江敏幸(ほりえ・としゆき)

1964年、岐阜県に生まれる。作家、仏文学者。早稲田大学教授。晩年の宇佐見英治と文通し、年若い友人として深く信頼を寄せられる。 著書に『おぱらばん』(青土社、1998、三島由紀夫賞)『熊の敷石』(講談社、2001、芥川賞)『雪沼とその周辺』(新潮社、2003、木山捷平文学賞、谷崎潤一郎賞)『一階でも二階でもない夜』(中央公論新社、2004)『正弦曲線』(中央公論新社、2009、読売文学賞随筆・紀行賞)『なずな』(集英社、2011、伊藤整文学賞)『仰向けの言葉』(平凡社、2015)『その姿の消し方』(新潮社、2016、野間文芸賞)など多数。

 

■目次

戦中歌集 海に叫ばむより 第二部 コレラの歌

 

法王の貨幣――ジャコメッティの思い出に/明るさの神秘――宮澤賢治とヘルマン・ヘッセ/未知なる友/多生の旅より 闇の光/闇・灰・金――谷崎潤一郎の色調

 

一茎有情 春の章より/老去悲秋/手紙の話より この岸辺で 恋文 十人十筆 不一/

 

樹木/風の根/足音/海の塚/泉窗書屋閑話より 書物の整理

 

戦地へ携えて行った一冊――山本書店版『立原道造全集 第一巻 詩集』/護國旗/高原孤愁/友への新たな挨拶――『後藤比奈夫七部集』頌/百代の過客――片山敏彦生誕百年に

 

隻句抄 言葉の木蔭/草のなかで――詩三篇  霧の中 草のなかで 挽歌/戦時の日記から/北海道吟行より/辞世

 

自筆略年譜

戦中歌集 海に叫ばむ 後記

 

スマトラからスタンパへ  宇佐見英治の戦中戦後  宇佐見森吉

あらぬものへの呼びかけ  宇佐見英治『言葉の木蔭』に寄せて  堀江敏幸

初出一覧

宇佐見英治著書一覧

 

 

  • 四六判/上製本/カバー装/本文336頁
  • 3,200円(本体価格・税別)
  • 2018年3月刊
  • ISBN978-4-89629-346-3 C0095