理解フノー 四月と十月文庫7

遠藤哲夫 著
田口順二 著

◎「大衆食堂の詩人」エンテツこと遠藤哲夫。日々の台所で繰り返される「生活料理」や「大衆食堂」など、ありふれたものをおいしく食べる庶民の快食を実践、追求する。長きに渡ったプランナー稼業、現在の肩書フリーライターなど、多彩な仕事や人との関わりを経てきた著者が、率直軽妙に綴る世相、故郷、上京物語、家族、そして老い……。

◎白黒つけない物の見方に納得、くすっと笑わせ、ときにほろり。美術同人誌「四月と十月」で2008年より連載の「理解フノー」に加筆、書き下ろしその他を収録。

◎絵は「四月と十月」創刊以来の同人、田口順二。中学校の美術教師をつとめながら創作活動を続ける。地元小倉の風景、日々接する中学生たちの姿、心象など、学生時代の作品から制作途上の作品、描き下ろしまで、カバー、表紙、カラー口絵含め30点を収録。様々な画材で画風も変化に富み、自身による言葉とともに、さながら小作品集の趣。

◎文章の世界、絵の世界を行きつ戻りつ、濃密な空気に満たされながら、不思議に爽快な読後感。「理解フノー」な人間の存在が、たまらなく愛おしく思えてくる一冊。

 

■本書より

「「理解フノー」の始まり」

呑べえ横丁は、小さな運河のような川の上に、同じ狭い間口の三十軒ほどの飲み屋が連なって看板を出している、酒飲みにとっては頼もしい景色の長屋だ。その中から鬼灯を選んだのはカンだったが、なかなかよい店だった。ほやの刺身など魚類の肴がよかったし、酒もうまかったし、おかみさんも愉しいひとだった。私は、とくにほたるイカより少し大きい小さなイカの内臓ごと丸干しと、マンボウの腸を干したコワダのうまさにおどろき舞い上がった。酒にもぴったりだし、大いに食べ飲んだ。開店早々の早い時間で客は私たちだけ、ウマいウマいと、わいわいはしゃぎながら飲んだ。私は酔ったが、まだ正体を失うほどではなかった。

つぎに行く店は、鬼灯のおかみさんがおすすめの、中華料理「新華園本店」だった。鬼灯を出て、長屋の端に近い鬼灯から、反対の端へ向かって歩いているあいだに、私だけ遅れ気味になっていた。ふらふら歩いていると、長屋の一軒から、二人の若い男が、肩を組んで元気よく路上にあらわれた。

彼らは、何か叫んでいた。私が呼びとめられたのか、私が呼びとめたのか、そのへんはよく覚えていない。とにかく三人で並んで肩を組むように、あるいは歩きながら輪になって、叫んだ。

そのとき、私のなかに沈殿していた何かが湧きあがり、「理解フノー、理解フノー」と叫んでいたのだ。彼らに「どこから来たんですか?」と問われても、「理解フノー」と叫んでいた。

若者たちは、私たちが連れて行ったのか、彼らが勝手に付いて来たのかさだかでないが、新華園本店でも一緒のテーブルで飲みかつ食べた。なんだかわけのわからないニギヤカな成り行きのなかで、私は「理解フノー」を、「ぼくらはみんな生きている」のメロディにのせて「ぼくらはみんな理解フノー、生きているから理解フノー」と、繰り返しうたっていた。(後略)

 

■著者

遠藤哲夫(えんどう・てつお)

1943年新潟県六日町(現・南魚沼市)生まれ。「大衆食堂の詩人」ともいわれ、通称「エンテツ」。家庭と仕事転々のち、1996年頃から「フリーライター」の肩書を使用。著書『大衆めし 激動の戦後史』(ちくま新書)ほか。ブログ「ザ大衆食つまみぐい」。埼玉県さいたま市在住。

 

田口順二(たぐち・じゅんじ)

1964年熊本県生まれ。画家、中学校美術教諭。北九州市立美術館、旧百三十銀行ギャラリー(北九州)、トライギャラリー(東京)などで個展。美術同人誌「四月と十月」創刊(1999年)以来の同人。福岡県北九州市八幡東区在住。

 

■目次

「理解フノー」の始まり

ウマソ~

健康と酒と妄想と

右と左

何もしなくていいじゃないか

かわいいコワイ

あとをひく「つるかめ」の感傷

わが「断捨離」歴

五十年目のタワゴト

十年後

「文芸的」問題

『四月と十月』からエロへ転がり

クサイ話

七十二と七十

ダンゴムシ論

フリーライター

気取るな! 力強くめしを食え!

坂戸山

 

「僕の遠藤哲夫」田口順二

 

 

  • 四六判変型/並製本/カバー装/本文128頁
  • 1,200円(本体価格・税別)
  • 2016年9月刊
  • ISBN978-4-89629-319-7 C0395