法廷通訳人 裁判所で日本語と韓国語のあいだを行き来する

丁海玉 著

◎在日韓国人二世の著者は、二十数年にわたって韓国語の法廷通訳を務めてきた。被告人が話す言葉(韓国語)を、また裁判官、弁護人などの言葉(日本語)を通訳する。人が裁かれる法廷の場で、人生を左右する言葉をやりとりし、時には人間の苦い闇がえぐり出され、時には人生のきしむ悲痛な音を聞く。法廷通訳の難しさ、裁判員裁判への移行、そして日韓の言語と文化の違いから生じるさまざまな出来事を描く、法廷通訳人が見た法廷ドキュメント。

◎日本がグローバル化するなかで、法廷通訳の仕事も注目されてきているが、法廷で通訳するとはどういうことか、その仕事の内容、問題点などを、著者の体験にもとづいて詳細に語った、法曹界話題の書。

◎法律・法律用語には詳細な注をつけて、読者の便をたすける。

◎日韓交流、韓国の言語と文化を知るために恰好の手引き書!

 

■本書より

「裁判所で通訳をする」と、ひと言で言ってしまうことは、とてもたやすい。だが、それはいったいどういうことなのか。

なぜ私は、裁判所から連絡が来ると待ってましたとばかり即座に通訳を引き受け、法廷に立つのだろう。

裁判所や、裁判手続きということ。いろいろな法曹関係者や被告人たち。劇場で見るような、怒り、涙、かけひき、ため息と、飛びかう法律用語。適切な訳語への迷い。目線のやり場、呼吸の仕方にこまってしまう一瞬。でこぼこの韓国語、そして母語である日本語までもが試される怖さ。それらは時としてズレたり歪んだり、どうかすると鋭い刃物のように私を突いてくる。

法廷通訳人は最初に宣誓書を朗読して、目に見えない〈良心〉と〈誠実〉を担保にしなければならない。そして日本語ともうひとつの言語を使いながら、被告人やさまざまな法曹関係者、事件の関係者、傍聴人などと時間を共にしていく。非日常の空間の中で、普段の生活ではなかなか見えない人間の姿があぶり出される光景を目の当たりにすることもある。

そこにあるのは言葉だ。

言葉には、それを使う人の人となりや個人史、生き様が反映される。日本語であれ韓国語であれ、放たれる言葉によってその人の〈生〉が鮮やかに浮かび上がることがある。もちろん法廷通訳人の言葉も例外ではあり得ない。

裁判所という公開の場で、自分をさらけ出す場に立つ覚悟を試されながら、私はふたつの言葉のあいだを行き来している。

 

■著者

丁海玉(チョン・ヘオク)

1960年神奈川県川崎市生まれ。在日韓国人二世。幼少期を北海道旭川市で過ごす。1984年ソウル大学校人文大学国史学科卒業。1992年大阪高等裁判所通訳人候補者名簿登録。大阪、広島、名古屋、高松各高等裁判所管内にて法廷通訳研修講師(韓国語)を務める。2002年に発表した「違和感への誘い−−法廷通訳の現場から」(『樹林』448号)は、第22回大阪文学学校賞(エッセイ・評論・ノンフィクション部門)を受賞。著書に、詩集『こくごのきまり』(土曜美術社出版販売、2010年)。詩誌『space』同人。

 

■目次

はじめに

 

──法廷通訳という仕事

法廷通訳人になる

 

──そこに立たされる人生

わたし、通訳いりません/だれがそれを、きめたんだ/アナタ、モウ、イイ/父と子の母語/もどかしさの衣/五〇二号室にて/クロッスムニダ/

 

──日本語と韓国語のあいだを行き来する

判決重うなったんは、あんたのせいや/名前を何といいますか/ハスリします/うごくなまえたち/ルビのかけひき/揺れるポニーテール/バーの向こう

 

──裁判員裁判の法廷にて

初めての裁判員裁判(耳慣れない単語/一本の電話/教科書のない始まり/背中を見ながら)

 

ありがとう(エピローグ)

おわりに

 

 

  • 四六判/並製本/カバー装/本文248頁
  • 1,800円(本体価格・税別)
  • 2015年12月刊
  • ISBN978-4-89629-306-7 C0036