続 賢治童話を読む 港の人児童文化研究叢書004

関口安義 著

◎既刊『賢治童話を読む』(2008年刊)の続編。本書も引き続き、芥川研究第一人者の著者が芥川と同時代を生きた宮沢賢治について、芥川と比較・対照しながら論じ、近代に生きた知識人のありかたを探る。芥川との比較論考は本書においてしかない。

◎著者独自のキリスト教の視座から、名作「銀河鉄道の夜」を中心に、賢治童話(24編)をていねいに読み解く。幸いとは、祈りとは、また人間の罪とは、賢治がどのように考えていたかを明らかにする。

◎巻末に人名・事項索引付。

 

■本書「あとがき」より

前著『賢治童話を読む』でわたしは、「なぜ賢治童話か」を「序章」に置き、①若い頃からの賢治童話への親しみ、②教育系大学に勤務し、学生と共に賢治テクストを取り上げ、考えてきたこと、③賢治を芥川龍之介と比較・対照することで見えてくるものはなにかの三点を挙げている。この観点は、本書にも受け継がれている。本書「第Ⅱ章 神聖な愚人」など、龍之介と賢治という課題が、凝縮された章といってよいほどだ。芥川テクストと比較・対照による賢治研究は他にない。こうした視点は、わたしが過去四十年以上も本格的に芥川テクストとかかわり、その眼で賢治を考えるという習性がいつか身に付いたことから来るのであろう。「神聖な愚人」ということばそのものも、芥川から借りている。 こうした意味からすると、前著『賢治童話を読む』の第Ⅵ章に収めた「虔十公園林」をも読み直していただけるなら幸いである。他にも本書には随所に龍之介と賢治を比較・対照して論じているところが出てくる。その彼方には急速に進展した近代日本への彼らのアンチテーゼ、さらに言うならば、日本の知識人の精神史・思想史を考える、というわたしの研究課題が見え隠れするであろう。

このほか本書で特筆されるのは、「第Ⅴ章 原罪とはなにか」に象徴されるような、人間の罪の問題を賢治がいかに考えていたかへの考察があげられる。原罪とはむろん『旧約聖書』「創世記」3章に見られる、人間が生まれながらに負っているとされる罪である。前著ではそれを「よだかの星」をはじめとするテクストに見たが、本書でも「二十六夜」ほか二作でその問題を考えた。賢治の人間の罪への意識は、これまでとかく法華経一色で語られがちであった。が、賢治は「二十六夜」のような仏教説話を書きながらも、キリスト教的〈原罪〉の問題に至らざるを得なかったのである。「土神ときつね」など、「創世記」のカインとアベルの記事の反照をも感じさせる、実に重い原罪物語とも言えるものだ。

 

■著者

関口安義(せきぐち・やすよし)

1935年、埼玉県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。都留文科大学、文教大学教授を経て、現在、文芸評論家・都留文科大学名誉教授。中国・河北大学、アメリカ・オレゴン大学、ニュージーランド・ワイカト大学などで客員教授を務める。専門は日本近代文学。著書に『評伝豊島与志雄』(未来社)、『芥川龍之介』(岩波新書)、『特派員芥川龍之介』(毎日新聞社)、『「羅生門」を読む』(小沢書店)、『芥川龍之介とその時代』(筑摩書房)、『恒藤恭とその時代』(日本エディタースクール出版部)、『賢治童話を読む』(港の人)、『芥川龍之介新論』(翰林書房)などがある。

 

■目次

序章─銀河鉄道の世界へ

第I章─意外性の物語

税務署長の冒険/バキチの仕事/馬の頭巾

 

第II章─神聖な愚人

革トランク/葡萄水/気のいい火山弾

 

第III章─幻想の世界

茨海小学校/ひのきとひなげし/さるのこしかけ

 

第IV章─山男への関心

祭の晩/毒もみのすきな署長さん/おきなぐさ

 

第V章─原罪とはなにか

二十六夜/土神ときつね/ビヂテリアン大祭

 

第VI章─存在の悲哀

マリヴロンと少女/蜘蛛となめくぢと狸/「ツェ」ねずみ

 

第VII章─銀河鉄道への旅

インドラの網/十力の金剛石/銀河鉄道の夜

 

第VIII章─賢治戯曲の世界

饑餓陣営/植物医師/ポランの広場

 

あとがき

事項索引

人名索引

 

 

  • A5判/上製本/口絵写真2頁/本文544頁/函入
  • 8,000円(本体価格・税別)
  • 2015年7月刊
  • ISBN978-4-89629-300-5 C3395