◎「児童文化」とは何か? 本書は近世後期から、明治、大正、昭和初期と、埋もれていた当時の資料を発掘して、壮大なスケールで多岐にわたって詳細に論証し、近代の「児童文化」の理念と実態を明らかにした画期的な労作。
◎「児童文化」という用語はいつ、だれが初めて使用したのか? これまでの定説を覆し、大正10年の当時の資料から新たな事実を発見する。さらに「児童文化」誕生期のさまざまな児童文化活動を取り上げて、当時の実態を活写し、「児童文化」の発展に尽くした人物たちのその理念を提示する。
◎本書はおもに3部で構成されている。「第Ⅰ部 近代の子どもの文化と「児童文化」の誕生」に続き、第Ⅱ部では「児童文化」が誕生した頃の、仙台市で展開された児童文化活動の全貌を明らかにしていく。第Ⅲ部では、大阪や函館の児童文化活動について報告する。また農村などの学校をまわって、児童文芸誌や学用品を販売した児童文化業者の存在に光を当てるなど、これまで知られることのなかった「児童文化」の諸相を浮き彫りにする。
◎本書には、当時の具体的な様子を知る貴重な写真や図版、資料を豊富に収録する。
◎巻末には、詳細な「児童文化関連事項年表(明治元年〜昭和8年)」を掲載。
◎巻末には、人名・事項索引を付して、読者の便に供するように努める。
◎別冊には、当時の「児童文化」を実感できるように、“幻の雑誌”といわれる後藤隆編輯発行の『小鳥の家』(創刊号、大正12年4月)、宮城県の児童文化業者・金野細雨が編輯発行した『赤い実』(昭和2年7月)の2冊を複製して収録する。
◎第39回日本児童文学学会賞受賞
■本書「序章」より
本書では、当時の児童文化活動に関わった人々が残した一次資料を発掘しながら、「児童文化」という用語が誕生するまでの経緯と誕生の背景を探り、さらに、「児童文化」誕生当時の具体的な活動の諸相を探っていく。これまでほとんど不明のままとされてきた誕生期の児童文化活動の具体的な様相を探る過程で、先行研究では明らかにできなかったさまざまな新事実も明らかになっていくものと期待できる。
一例を挙げると、「児童文化」という用語が誕生する社会的な背景、「児童文化」という用語が使われ始めた時期の分析、児童文化活動が展開された場、児童文化活動を担った人々、児童文化活動に接した子どもたちの様子、児童文化の地方への広がりなどである。
これらの分析を通して、児童文化にかかわる新たな事実を求めると同時に、誕生期に「児童文化」という用語が内在させていた概念を探っていく。誕生期にさかのぼって「児童文化」の本質を探ることにより、児童文化研究がこれまで解明できなかった永遠の課題―「児童文化」とは何か―に対する答えも見出せるものと期待している。
本書で扱う主な時期は、「児童文化」概念が誕生したと考えられる大正10年を中心としてその前後の大正自由教育の隆盛時代を中心とする。そして、誕生期の概念を根強く内在させながら児童文化活動が展開していく昭和5年頃までの動向を主に確認していく。さらに、児童文化概念の誕生にいたる経緯を探るために、近世の子どもの文化状況、明治期の文化状況についてもあわせて確認する。
■著者
加藤理(かとう・おさむ)
1961年(昭和36)、宮城県仙台市生まれ。文教大学教育学部教授。博士(文学)。
早稲田大学教育学部、早稲田大学大学院文学研究科教育学専攻に学ぶ。東京成徳大学子ども学部教授などを経て、現職。児童文化を視点の中心にしながら、子どもと教育の歴史、子どもの育ちについて研究。「童装束に現れる児童観の分析」で日本児童文学学会二十五周年記念論文賞、『〈めんこ〉の文化史』で日本児童文学学会学会賞奨励賞をそれぞれ受賞。
主な著書
『「ちご」と「わらは」の生活史―日本の中古の子どもたち』1994年、慶應義塾大学出版会
『〈めんこ〉の文化史』1996年、久山社
『育つということ―中野光の原風景』1998年、久山社
『「北の国から」の父と子』1999年、久山社
『駄菓子屋・読み物と子どもの近代』2000年、青弓社
『文化と子ども―子どもへのアプローチ』共編著、2003年、建帛社
『消費社会と子どもの文化』共編著、2010年、学文社
『叢書 児童文化の歴史』全3巻、共編著、2011~12年、港の人
『ポスト三・一一の子どもと文化―いのち・伝承・レジリエンス』共編著、2015年、港の人ほか
■目次
序章
第I部 近代の子どもの文化と「児童文化」の誕生
第1章 近世後期の子どもの文化
1-1 『桑名日記』に見られる子どもの遊びとおもちゃ/1-2 鐐之助が楽しんだ読み物と「むかし」/1-3 軍書講釈と語りの文化/1-4 芝居、見世物/1-5 源平時代の英雄と作り物/1-6 鐐之助と手習い/1-7 手習い塾で出会う文化
第2章 明治時代の子どもと文化
2-1 講談文化とメンコ、カルタと売薬版画/2-2 子どもと芝居/2-3 谷崎潤一郎と芝居/2-4 芝居とメディアミックス/2-5 寝物語と語り聞かせ/
第3章 〝教育化〟される子どもの文化と教育博物館
3-1 〝教育読物〟登場と〝教育おもちゃ〟の登場/3-2 教育博物館と“教育化”される子どもの文化/3-3 「教育家族」の増大と博文館の出版
第4章 子ども用品の誕生と三越児童博覧会
4-1 こども博覧会の開催/4-2 子ども用品の誕生と三越児童博覧会/4-3 三越児童博覧会と「児童本位」と「児童用品」の誕生
第5章 大正時代の子どもの生活と文化環境
5-1 大正時代の子どもと講談文化/5-2 観劇と活動写真/5-3 活動写真と旧劇/5-4 新中間階級の家庭の生活と文化/5-5 大正時代の子どもと雑誌の思い出
第6章 『赤い鳥』の創刊と児童芸術運動
6-1 巌谷小波の美育への着目と芸術の勃興/6-2 モダニズム化と『赤い鳥』の創刊/6-3 『赤い鳥』との出会い/6-4 児童芸術雑誌の地方への広がり
第7章 大正自由教育と文化主義
7-1 大正自由教育の胎動―樋口勘次郎と児童中心主義/7-2 児童芸術運動の胎動と文化主義―日本済美学校と美育/7-3 「児童文化」誕生前夜の雑誌制作活動/7-4 芸術自由教育の広がり
第8章 「児童文化」誕生前夜
8-1 大阪で結成された児童文化関連団体と高尾亮雄/8-2 児童文芸雑誌と童謡・童話の同人誌―『木馬』と蜻蛉の家を中心に
第9章 「児童文化」の誕生
9-1 後藤牧星の幼少年期と青年前期/9-2 少国民新聞と後藤牧星/9-3 「児童文化」の誕生
第II部 仙台における誕生期「児童文化」活動の諸相
第10章 童謡創作の興隆と童謡詩人ヘキの誕生
第11章 仙台児童文化活動の人脈形成
11-1 桜田はるを、片平庸人との出会い/11-2 千葉春雄、黒田正との出会い/11-3 佐藤勝熊、都築益世との出会い/11-4 天江とヘキの出会い
第12章 おてんとさん社の結成と『おてんとさん』の発行
12-1 おてんとさん社結成の準備/12-2 おてんとさん社の誕生/12-3 『おてんとさん』の創刊と内容
第13章 おてんとさん社の活動と解散
13-1 おてんとさん社の活動/13-2 『おてんとさん』の終刊/13-3 おてんとさん社の解散
第14章 『おてんとさん』終刊後の動向
14-1 童謡研究会とヘキの童謡論/14-2 『おてんとさん』後の同人誌とさくらんぼ社の活動
第15章 仙台児童倶楽部の誕生
15-1 仙台児童倶楽部設立計画/15-2 仙台児童倶楽部の発足と構成員/15-3 黒田正の活動/15-4 木町通小学校と二階堂清壽の自由主義教育/15-5 黒田正の教育実践と二階堂校長/15-6 『宮城教育』と黒田正と池田菊左衛門
第16章 仙台児童倶楽部の活動
16-1 仙台児童倶楽部の発足準備と組織/16-2 仙台児童倶楽部の設立目的/16-3 童謡童話会の開催/16-4 童謡童話会の推移/16-5 仙台児童倶楽部が内包した二つの潮流とたんぽゝ童謡研究会/16-6 催物の主催と後援
第17章 仙台児童倶楽部の終焉
17-1 野口雨情招聘童謡童話大会/17-2 野口雨情童謡童話会に見られる仙台児童倶楽部の活動方針/17-3 仙台児童倶楽部の終焉
第18章 七つの子社の誕生と活動
18-1 仙台児童文化活動の第二世代/18-2 七つの子社の誕生/18-3 七つの子社のメンバ-の特質/18-4 七つの子社影絵の誕生と影絵の演目/18-5 七つの子社影絵の理念と技法
第19章 伊勢堂山林間学校
19-1 林間学校の誕生/19-2 日本赤十字社夏季児童保養所/19-3 宮城県で開催された林間学校・臨海学校/19-4 伊勢堂山林間学校の開校/19-5 伊勢堂山林間学校開設の背景/19-6 伊勢堂山林間学校開校の目的/19-7 伊勢堂山林間学校の参加者と予算/19-8 伊勢堂山林間学校の献立と身体上の変化
第20章 太陽幼稚園と児童文化活動
20-1 仙台の幼稚園と青葉幼稚園/20-2 相澤太玄の活動/20-3 太陽幼稚園の創立/20-4 相澤太玄の死と太陽幼稚園のその後/20-5 第三代園長静田正志と児童文化活動/20-6 太陽幼稚園の教育/20-7 太陽保姆養成所の設立/20-8 太陽幼稚園・太陽保姆養成所を拠点とした児童文化活動
第21章 日曜学校と児童文化活動
21-1 日曜学校の隆盛と展開/21-2 仙台の仏教系日曜学校事情/21-3 日曜学校と行事/21-4 仙台におけるキリスト教系日曜学校の広がり/21-5 仙台仏教婦人会/21-6 日曜学校参加児童の年齢と選択科目/21-7 仙台仏教婦人会少女部の童謡・童話会の開催/21-8 栴檀中学日校部の創設/21-9 日校部の活動と附属双葉日曜学校/21-10 日曜学校発行の文集/21-11 『ミヒカリ』と閖上コドモ会
第III部 児童文化活動の広がりと展開
第22章 大阪の児童文化活動/
22-1 『蜻蛉の家』と國田弥之輔の活動/22-2 後藤牧星と『小鳥の家』/22-3 児童文化協会の活動
第23章 函館の児童文化活動
23-1 函館の誕生期児童文化活動/23-2 蛯子英二と児童文化活動/23-3 おてんとさん童話会の結成/23-4 童話会の内容/23-5 小学校訪問童話会と子どもたちの反応/23-6 おてんとさん童話会活動の特質
第24章 児童文化活動の場としての学校
24-1 学校文集の発行/24-2 児童創作文集「コトリ」の発行と実践活動の機関としての学校/24-3 上杉山通小学校の児童文化活動/24-4 学芸会の開催
第25章 児童文化業者・金野細雨の児童文化活動
25-1 金野細雨の幼少期/25-2 細雨の思想-キリスト教、エスペラント、トルストイ/25-3 独立後の細雨と文芸誌の発行/25-4 『赤い実』の発行と口演童話/25-5 細雨が運んだ文化
第26章 児童文化活動の場としての家庭
26-1 仙台の家庭での児童文化活動/26-2 石丸家の子どもの活動
第27章 誕生期の「児童文化」論
27-1 『児童文学読本』と峰地光重の児童文化論/27-2 仙台の活動に見られる誕生期「児童文化」論
終章
28-1 〈思想的なバックボ-ン〉の存在と〈循環〉/28-2 「児童文化」とは何か
別冊複製『小鳥の家』『赤い実』解説
児童文化関連事項年表(明治元年~昭和八年)
あとがき
事項索引
人名索引
別冊複製2
『小鳥の家』後藤隆編輯発行
『赤い実』金野細雨編輯発行
- 菊判/上製本/貼函入/本文864ページ/別冊複製雑誌2冊
- 12,000円(本体価格・税別)
- 2015年3月刊
- ISBN978-4-89629-294-7 C3037