心のてのひらに

稲葉真弓 著

2014年8月に急逝した稲葉真弓の遺稿詩集。92年に発表した『エンドレス・ワルツ』が話題を呼び、数々の文学賞を受賞しながら、生涯にわたってひたむきに小説家としての歩みを続けた。また10代から培った詩の精神を片時も手放さず、詩作に励んだ。

本詩集は、稲葉自身によって病床で企図されたもの。文学者としての生命と使命が、3.11の祈りとしてここに昇華した。最後まで希望を失わなかった詩人の力強い声が響き渡る詩集。私たちは、この祈りと勇気を受け継がねばならない。

 

■本詩集より

「受粉の日」

花粉のように飛びましょう

どこまでもどこまでも

飛散と受粉の旅をつづけましょう

軽くて柔らかなお皿を抱えて

ええ どこまでも出前の旅をいたします

不妊の女たちのいる島

遊び続ける少年たちの

いつまでも暮れない空に

金色の花粉を降らせにいきましょう

 

愛のすり切れた二十一世紀の波打ち際

わたしたちの旅の道程は

虹のように喜びと悲しみの両岸へと

続いているのではなかったか

大きなクジラたちが殺され続けた深い湾では

まだ皿は空っぽのまま

なみなみとしたものを満たすために待たれている

 

手をつないでいきましょう

けっして幸福ではなかった父母や祖父母たちの

墓やクジラ碑

置き去りにしてきた動物の白骨たちよ

花をさした銃口を敵に捧げた若者のように

いまいちど

生き物の濁りのない受胎を夢見て

るいるいとした死の山脈をこえて往く

 

さあ わたしたちは

あした 白い皿に乗った

黄色い魔法の粉になるのですよ

未来を生きるための花の武器になるのですよ

 

■著者

稲葉真弓(いなば・まゆみ)

1950年3月8日愛知県生まれ。愛知県立津島高等学校卒業。西脇順三郎作品に衝撃を受けたのをきっかけに高校生の頃より詩作を始め、名古屋の同人誌で発表するなど創作を続ける。1973年「蒼い影の痛みを」で女流新人賞受賞。80年『ホテル・ザンビア』で作品賞受賞。これをきっかけに東京へ移り、編集等の仕事の傍ら創作活動に励む。82年詩集『ほろびの音』上梓。90年「琥珀の町」で芥川賞候補となる。91年詩集『夜明けの桃』上梓。92年『エンドレス・ワルツ』で女流文学賞受賞。同作は95年に「エンドレス・ワルツ」(監督/若松孝二、主演/町田康)として映画化される。この頃、倉田悠子名義でノベライズやファンタジー小説の仕事も行なうが、この事実は2014年5月に自ら明かすまで知られていなかった。95年『声の娼婦』で平林たい子文学賞受賞、『繭は緑』で泉鏡花文学賞候補となる。97年「朝が二度くる」、2000年「七千日」、05年「私がそこに還るまで」でそれぞれ川端康成文学賞候補となる。02年、詩集『母音の川』で萩原朔太郎賞候補となる。08年、志摩半島での暮らしを題材とした「海松」で川端康成賞受賞、10年『海松』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。11年『半島へ』で谷崎潤一郎賞、中日文化賞受賞。12年同作で親鸞賞受賞。晩年は詩作や朗読にも積極的に取り組み、14年3月、詩集『連作・志摩 ひかりへの旅』上梓。同年4月紫綬褒章受章。2014年8月30日逝去。

 

■目次

白い花/春そこから皮膚が/海をゆくものへの挽歌/(無題)/シュポー 見えない列車/(無題)/椿を鎮める/ことほぎ/クラゲたち/冬の薔薇/ホントウのコト/方舟・2011/きょうの祭礼/儀式/秋の柩/町のありか/問いかけ/白と黒についてわたしたちが話したこと/ある船の物語/受粉の日

 

 

  • 四六判変型/上製本/カバー装/本文108頁
  • 1,800円(本体価格・税別)
  • 2015年3月刊
  • ISBN978-4-89629-291-6 C0092