市井に生きる詩人が歩んできた人生をみつめ、しずかな折にふれての思いを詩につむいでいく。そしてやわらかな祈りの声がひびいている26編の好詩集。
作品「出会いの歌」「人は海から」には曲がつけられ、子どもたちに愛唱される。
版画家工藤正枝のファンタジックな世界を描いた銅版画がカバー、4つの章扉などを飾り、本詩集の情趣を一層深める。
■「或る犬」より
その古いビルの裏側はバス通りに面していて
悲哀を形にしたような暗い窓々に
人影を見かけることはなかったが
花壇も木もない殺風景なその一角に
一匹の犬がいつも繋がれているのを
私はそのころ
バスで通るたびに目にしていた
犬小屋らしいものは無かった
その代わり 彼のかたわらにはいつも
その等身大ほどの穴が
彼自身の影のように横たわっていた
周辺の土はたいていは
黒く湿っているようだったから
それはたえず掘り返されていたのだろう
彼によって
西日のきつい夏の午後
掘り返したばかりの冷たい土に
腹を沈め
北風の吹きすさぶ冬
掘り返したばかりの土のぬくもりに
身を寄せ
そう 彼はひとつの穴を掘り続けていたのだ
彼のかたわらに
己の生きた証を刻むように
(後略)
■著者
山中孝子(やまなか・たかこ)
「詩と版画による二人展」を版画家工藤正枝と、1996年、2005年の2回開催。
詩集『海からとどく子守歌』2007年 花神社
■目次
出会いの歌/人と人のあいだに/出会いの歌/言葉/沈黙/歌が聞こえる/人は海から
オレンジ色の時/灯ともしごろに/眠る猫(その一)オレンジ色の時 (その二)その深い眠りが (その三)闇を渡る舟/コウモリ/ある春の午後に/百日紅/ブランコの思い出
風にないしょで/虹/チューリップ/ウグイス/春/或る犬/叫び ―ムンクの「叫び」に寄せて―/ムカデ/百花繚乱 ―廃屋幻想―
遠い波音/もういちど/昼の月/水路/波音 ―「タイスの瞑想曲」に寄せて―
- A5判/並製本/カバー装/本文96頁
- 1,600円(本体価格・税別)
- 2014年12月刊
- ISBN978-4-89629-289-3 C0092