作家たちは近代といかに向きあったのか――。言葉をとおして世界にかかわり、近代の諸問題に取り組もうとした20世紀イギリスの作家たち――D. H. ロレンス、レイモンド・ウィリアムズ、ドリス・レッシング、ジョン・ファウルズ――の批評意識を、「読むことの系譜」から明らかにする。それは、文化と社会の根本にかかわる近代の「長い革命」(ウィリアムズ)のひとつの系譜でもある。新鋭の英文学者の初めての著作であり、渾身の英文学評論。
■「序論」より
読むことが創造的な行為となるためには、読むことも書くこともともに「継承と文化」の観点から見られなければならない。これによって、読むことが文化の変容と形成につながり、「継承」が系譜を紡ぐいとなみとして重要な役割を担うことになる。このように、「諸規則」に従うことは一見すると受動的なようでありながら「一種の創造」なのであり、読むことは文化の継承と変容と形成につながる能動的な行為にほかならないのだから、読むという行為は「もはや受動的ではな」いのである。このような読みのあり方が、ブランショの「受動性が読む」という表現の意味することなのだ。この「夜通し寝ずの番をするような」読み方は、読むという行為をとおして現実の「創造」をおこなう読み手にとって、「刺激的」であると同時に、「諸規則」の遵守を要請する――このことを本書では言語の性質に由来する命法として論じる――ものであり、したがって読むという行為は倫理的な行為なのである。
■著者
近藤康裕(こんどう・やすひろ)
1980年、宮崎県に生まれる。2010年、一橋大学大学院言語社会研究科博士後期課程修了。博士(学術)。現在、慶應義塾大学法学部専任講師。共著に『愛と戦いのイギリス文化史 1951-2010年』(慶應義塾大学出版会、2011年)、『文化と社会を読む 批評キーワード辞典』(研究社、2013年)。共訳書にトニー・ジャット『失われた二〇世紀』(NTT出版、2011年)、レイモンド・ウィリアムズ『共通文化にむけて――文化研究I』(みすず書房、2013年)。
■目次
序論
第一章 価値評価、連続性、反復――D. H. ロレンスからニューレフトへ
一、価値の批判と価値評価/二、連続性と反復/三、ロレンスの哲学とニューレフト
第二章 「プロシア士官」と『羽毛ある蛇』におけるロレンスの思想体系
一、生と死の二元論とその脱構築/二、西洋的人間観の隘路/三、暴力の倫理/四、メキシコから問い直される西洋近代
第三章 ジョン・ファウルズとロレンス――『ダニエル・マーティン』におけるインターテクスチュアリティ
一、 表象/代表の問題認識と歴史/二、「知る」ことと「シンボル」/三、ロレンス、ファウルズ、ウィリアムズ
第四章 初期レイモンド・ウィリアムズにおける読みと批評の批判
一、F. R. リーヴィスと『スクルーティニー』の時代/二、読みと批評/三、テクストの政治学へ向けて
第五章 ドリス・レッシングの戦略――『黄金のノート』における読むこと、書くこと、感情
一、断片化と全体性――テクストのアポリア/二、読み、書くという「行為‐出来事」/三、ちいさい個人的な声/四、形式、感情、「感情の構造」
第六章 幽霊とは何か?――『ダニエル・マーティン』における読むことと書くことのアレゴリー
一、小説の倫理/二、定義できない文彩としての幽霊/三、全体性と言語/四、読むことと書くことのアレゴリー
結論
あとがき
文献一覧
索引
- 四六判/上製本/カバー装/本文252頁
- 2,600円(本体価格・税別)
- 2014年10月刊
- ISBN978-4-89629-285-5 C0098