◎幕末の嘉永6年(1853)、ペリーの黒船来航の時に「I can speak Dutch」と第一声を発し、英語の通訳として活躍、さらに日本初の本格的な英和辞書『英和対訳袖珍辞書』を誕生させた、幕府蘭・英通詞の堀達之助(1823~94)の傑作評伝。
◎幕末に国家の最前線で異文化接触した驚愕の開国経験と苦難の生涯。その人生を丁寧に辿りながら、壮大なスケールで日本の近代の意味をも問いかける。本書は、一幕臣の生涯を、「開国経験」の思想史というスタイルで描ききった大作である。
◎国家の急務として西洋語を翻訳して出来た近代日本語が、明治の近代社会を形づくっていくことになる。未知の言語である英語と格闘しその出発点を創出した開成所の堀達之助たちの活躍とその意義を探る。
◎堀達之助の生き方に魅かれた作家吉村昭は、彼を主人公にした歴史小説『黒船』(中公文庫)を書く。このふたつの書物を読むことによって幕末維新の激動の時代を生き抜いた堀達之助の生涯にいっそうの理解が深まる。
◎前著『英学と堀達之助』(雄松堂出版、2001年)の姉妹版。
■あとがきより
日本史に文字通りの「鎖国」が存在しなかったとしても鎖国的状態はあったからして、「開国」経験はたえず繰り返されてきた。それに伴う外国経験の原型は、遣唐使いらいの日本人留学生に代表され、そのつど先進文明(国)への畏怖・混乱・緊張・孤立感などを共通項としたであろう。しかしそれらと同類ながらも比較を絶する経験は、幕末に発する西欧世界との爆発的な接触、「沸騰作用」(オールコック)、つまり歴史的な唯一性をもつ「ザ開国」に他ならなかった。
本書は、最初期の蘭・英通詞、堀達之助を中心とする評伝のかたちを取っているが、個人的な伝記というよりは、遭遇した彼の初体験を通して、巨大な「開港・開国経験」の一端なりとも伝えられたらと念願した作品である。それだけに伝記でもなく社会史でもない、中途半端なものに終わったことを自覚してはいる。
幕末いらいの日本語の語彙は、その土台をほとんど《訳語》によって形成されたと聞かされる(森岡健二『近代日本語の成立』一九六九年)に及んでは、絶句するほかなかったのを記憶している。しかもこの近代日本語の成立過程は、同時に、国民国家(=統一的市場による一元的主権国家)のデザインと歩みをともにしている。
幕末の約一〇年間を中心とした国内や海外での開国経験は、それが原型ともなり縮図ともなって、明治以降の文芸・学術の前提的基盤――日本英学史的状況――の成立をもたらした。それを思えば、その基底をなす《言語革命》の先端に、かれら通詞たちは位置していたことになる。初代の苦難と新鮮な出会いとは、くりかえし発掘記録するにあたいしよう。一五〇年まえの先祖の英和辞書原稿も発見された。それに立ちあえた奇遇を思う。
■著者
堀孝彦(ほり・たかひこ)
1931年生まれる
学歴
1954年、東京大学文学部倫理学科卒業
1961年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程倫理学専攻単位終了
職歴
1961~1986年、福島大学教員(教育学部)倫理学、社会思想史担当
1986~2001年、名古屋学院大学教授(経済学部)
現在 名古屋学院大学名誉教授
学会
社会思想史学会、日本英学史学会、日本平和学会
主著
1983年『近代の社会倫理思想』青木書店
1999年『英和対訳袖珍辞書の遍歴』(遠藤智夫と共著)辞游社
2001年『英学と堀達之助』雄松堂出版
2002年『日本における近代倫理の屈折』未来社
2006年『私注「戦後」倫理ノート 1958_2003』港の人
2009年『大西祝「良心起原論」を読む』学術出版会
2010年『解読「英和対訳袖珍辞書」解読』港の人
■目次
はじめに─英和対訳袖珍辞書原稿の発見
第一章 阿蘭陀通詞と堀家
一 長崎のオランダ通詞と家学試験
1 堀家の系譜/2 長崎奉行所による「家学試」「芸才御試」/3 堀家の災難─五代・門十郎愛生と七代・儀左衛門政信/4 開国の内外状況─通詞と「資本主義の《精神》」?
二 達之助の長崎時代─蘭語および英語学習
1 生い立ちと蘭語学習/2 堀達之助の子どもたち/3 マクドナルドの生徒ではなかった/4 達之助の堀家改姓時期および英語学習/5 「堀達之翁由緒書」(古賀十二郎)について
三 砲術関係書の翻訳
1 『西洋流砲術聞書』(写本)/2 堀徳政訳『大砲使用説』(嘉永二年)/3 ダールグレン著『三二ポンド榴弾砲の訓練教科書』(一八五〇年)
四 砲術と開国
第二章 ビッドルとペリー─弘化三年~嘉永七年
一 ビッドル
1 ビッドル応接/2 堀達之助の最初期英文和訳および英作文
二 ペリー初来航時の応接(嘉永六年)─米国国書の受け取り
1 「近代的」慣行・倫理について/2 焼失した堀達之助の応接メモ/3 I can speak Dutch/4 白旗「書簡」問題/5 身分詐称と苦心の翻訳/6 国書受け取り/7 「幕府無能」説について/8 中国革命(太平天国の乱)と主権の課題/9 「浦賀のもの」の活躍/10 ペリー(初)来航の帰趨/
三 再来航時の応接─日米和親条約締結
1 米国使節贈品目録/2 条約締結/3 植物採集
四 ペリー来航にみる近代世界の諸相
1 人間観察─モラリストの眼/2 近代倫理の強制─贈り物の相互対等主義(レシプロシチ)/3 犠牲によるのではなく、悪しき慣行の矯正を/4 キリスト教的開国使命観(ウイリアムズ『随行記』)
コラム(1) ペリー来航一五〇年記念特別展─通詞と開国
コラム(2) 開国記念特別展あれこれ─通詞の姿
第三章 下田と堀達之助─英学との出会い
一 下田開港と長崎蘭通詞
1 下田と開港/2 下田出役の長崎通詞
二 下田の堀達之助
1 吉田松陰との出会い/2 米人埋葬と達之助立ち会い(玉泉寺、五基のうち二基)/3 下田条約(治外法権、信仰の自由)/4 日米和親条約「誤訳」問題/5 英学との出会い─英和辞書編纂への動機付け6 リュードルフ事件
三 言論の自由(福沢諭吉の視座)
四 日本語の構造と日本的人間関係─「英学との出会い」が意味するもの
第四章 江戸・蕃書調所時代─『英和対訳袖珍辞書』の編纂
一 蕃書調所の創設と二面性
二 英和辞書の編纂
三 英語教育と久坂玄瑞の入塾
四 『植物図譜稿』─小笠原島調査より堀一郎持ち帰り(文久三年)
五 起請文前書(文久四年)
第五章 『英和対訳袖珍辞書』─新発見原稿からみえてくるもの
一 『英和対訳袖珍辞書』の諸版と、現存の初版二〇本
二 補助線としての原稿史料
三 辞書の背景“We”(編纂者たち)
1 『英和対訳袖珍辞書』の背景─『英和対訳袖珍辞書』以前の英和辞書編纂/2 幕府による洋書印刷事情
四 英和辞書編纂と原稿史料
1 編纂者、校正者の新登場/2 辞書底本の切り替え(ピカール『英蘭辞典』初版と再版)─校正の諸段階と編纂時期の推定/3 堀達之助と再版とのかかわり
五 原稿史料にみる訳語比較─Democracy, Denizen, Ethicsほか
六 内発的開国と「対訳」辞書─異文化相互理解の証し
1 近代公教育における母語の役割と辞書類/2 外来文化の受容と日本語
七 タテ社会における和訳の問題─和製漢語(近代語)の始造
八 二つの訳語態度─説明的訳語か、既成単語依存か
九 動詞から名詞へ(抽象名詞の成立)─経験の抽象化としての「思想」
コラム(3) 英学史における堀達之助と堀孝之─蘭学・英学の旅
コラム(4) 戦争の記憶とその展示
第六章 箱館時代
一 諸術調所(箱館)と蕃書調所(江戸)
二 英語稽古所(名村五八郎)
三 箱館と堀達之助
1 箱館赴任の経緯と身辺事情/2 アイヌ墳墓盗掘事件
四 箱館洋学所(堀達之助)
1 箱館洋学所の発足と停滞/2 明治維新後の堀の足跡/3 英学再開(北門社新塾)─明治三年
五 函館文庫
1 『英和対訳袖珍辞書』その後─堀達之助の気がかり/2 函館文庫の創設/3 ウェブスター辞書と箱館/4 F・ウェイランド
六 建言二通と辞職(明治五年)
コラム(5) 北海道を訪れ現実社会を再考
第七章 『歴史問答作文』(明治一四年)と終焉の地・大阪
第八章 達之助の子息たち
一 長男・一郎(後の政正)
二 次男・壮十郎孝之
三 三男、四男
四 養子・堀透
注
巻末資料
一 堀達之翁由緒書/二 由緒書解題/三 『西洋流砲術聞書』/四 『歴史問答作文』(抄)/五 堀家の系図/六 達之助の子息たち(長男、三男、四男)
堀達之助(達之)略年譜
引用・参考文献
初出一覧
あとがき
堀達之助の欧文(蘭文と英文)
1 ビッドル来航時の英作文/2 『ファリミアル・メソッド』序文/3 『英和対訳袖珍辞書』(初版)序文/4 市川文吉への送辞(蘭文)
人名索引
■書評
「図書新聞」2012年3月10日号
- A5判/上製本/口絵12頁+本文400頁
- 2011年8月刊
- 6,000円(本体価格・税別)
- ISBN978-4-89629-237-4 C0023