アジア女性交流史研究

山崎朋子 著 上笙一郎 著

◎女性史・近現代史研究者の間では、まぼろしの雑誌といわれ、復刻をながく望まれていた『アジア女性交流史研究』全18号(1967年11月~1977年2月。およそ年2回刊行)を刊行。

◎本誌は、名著『サンダカン八番娼館』の著者・山崎朋子が編集執筆し、また森崎和江、山川菊栄、平塚らいてう、尾崎秀樹、竹内好、江刺昭子、高井有一ほか多くの執筆者が寄稿。テーマは植民地と女性、東南アジアの女性の地位、アイヌ人のことなど多岐にわたるが、アジアの根っこをさぐり、問うた熱い眼差しがある。これまで埋もれていたアジアの女性の存在と歴史を掘り起こすという先駆的な役割を果たした。

◎21世紀のアジアの人びととの共存と共生を創造することがもっとも重要な課題である。そのいとぐちをさぐる豊かなヒントが本誌にはある。女性史・近現代史・アジア学・社会学などの研究者、大学・公共図書館、研究機関必備図書。

◎今回、新たに山崎朋子著「『アジア女性交流史研究』の思い出」(書き下ろし)、総目次・執筆者名索引を掲載。

 

■復刻にあたって

「〈女性〉の立場から日本とアジアの関わりを考えた」

20代の前半を、わたしはひとりの朝鮮青年と一緒に暮らした。東大大学院に学ぶ人だったが、その生活のなかで、〈民族差別〉を体験するとともに、〈日本人〉である自分が〈アジア〉について如何に無知であるかを知った。

事情あって別れなくてはならなかったが、わたしの胸にはテーマが残った。――日本とアジア諸国はどのようにかかわって来たのか、それを〈女性〉の立場から考えてみようとした。

40年近い前のことで、このテーマに答えてくれる書物はなく、学者もほとんどいなかった。そこでわたしは、共に学ぼうと、新たに結ばれた上笙一郎をはじめ身近な人たちを誘って、アジア女性交流史研究会というささやかな会をつくり、小冊子『アジア女性交流史研究』を出したのである。

1967年から10年のあいだ、わたしの35歳から45歳にかけてのことで、18冊を刊行した。多いところで700部印刷というミニコミ誌が、思いがけぬ執筆者と、民族・性別・思想・立場・年齢を越えた読者に恵まれた。

歴史家の色川大吉氏は、この素人の学びの跡の小冊子を、民衆の歴史学習のひとつの紙碑と見て、合本にして愛蔵しておられると聞く。そんな小冊子がこの程、港の人の手により復刻される運びとなって、嬉しくもまた面映い思いである。

山崎朋子(女性史研究家)

 

■推薦の言葉

「アジアの底辺女性を視点にすえた貴重な文献」

山崎朋子編集、上笙一郎協力の『アジア女性交流史研究』(全18号)は、「女の時代」が始まろうとする1967年から、その全開期の77年まで刊行を続けられ、総ページ628に達したという。特徴はアジアの底辺女性に視点をすえ、その交流や受難と解放の記録を地道に積みあげ、ともすれば自閉中心になりがちな女性史研究、うわずりがちな女の闘いを、底点に引戻す力を持っていた。

山崎朋子が『サンダカン八番娼館』で有名になるのは1972年だが、その五年前に彼女は「からゆきさん哀歌」をこの『交流史研究』第一号に書いている。そして「時の人」となった後も、その底辺の視座を崩していない。 ここには朝鮮人女中、中国女子留学生、アイヌ女性、戦場慰安婦、タイの繊維女工、ガンジーをめぐるインド女性などが取りあげられ、日本との交流も研究されている。寄稿者もまことに多彩で、その論文、報告などと共に今では入手し難い貴重な文献となっていた。「港の人」からの復刻版刊行を心から喜びたい。

色川大吉(歴史家・東京経済大学名誉教授)

 

「歴史的資料として極めて価値が高い」

「アジア」と「女性」――歴史においても、あるいはまた現実の政治や社会活動においても、この二つのエレメントは長いあいだマージナルな位置におかれていた。そのマージナルな二つの名称を冠した雑誌が、今から35年も前に創刊されていた、ということはそれ自体大きな驚きである。しかしそれは、ある意味で当然の流れであったのかも知れない。

思えばこの雑誌が創刊された1967年前後は、アジアにとって大きな変革の時代であった。中国では文化大革命が始まり、それまで権力を握っていた共産党幹部や、知識人たちが「造反有理」の旗のもとに紅衛兵によって批判されて失脚した。アメリカ帝国主義と戦うヴェトナムの民衆は、1968年の「テト攻勢」で、アメリカを追い詰めて大打撃を与え、これが契機となってアジアにおけるアメリカの威信は徐々に失墜していった。そしてわが日本でも、ヴェトナム反戦運動が起こり、さらにそれと平行して各地で、権威主義的な大学の構造に抵抗する学園闘争が展開された。同時に日本はこの頃、高度成長の真っ盛りで、急速に蓄えられた余剰資本を海外へ投入する必要に迫られていた。一方、東南アジアの多くの国々では、大規模に門戸を開放して、外資導入により経済開発を計ろうとする開発優先路線が主流になりつつあった。日本の財界はこのラブ・コールにすばやく適応し、ここにアジア、特に東南アジアに対する日本の経済進出が大規模に始まったのである。

今回復刻される『アジア女性交流史研究』1~18号までが刊行されていたのは、日本があらたに大規模なアジア関与を始め、それを大きく膨らませていった時代であった。とはいえ、「アジア」はあくまで日本の投資の対象、利潤の根源としての関心を引いていたに過ぎない。またそこにおいて「女性」は、ほとんど主体的な役割を果たすことはできなかった。アジアへ行く企業戦士は常に男性であり、アジアとの交流もすべて男が舞台の表面で牛耳っていた。

しかし、実は「アジア」との交流の中で、密かに「女性」が果たしていた役割は大きい。鎖国が解かれてまもない頃から「からゆき」さんと呼ばれる女性たちがアジアに渡り、これが先鞭となって商業的な関係へと広まっていったことは、この雑誌の編集者でもある山崎朋子さんが紹介されている。今回復刻される『アジア女性交流史研究』は、そういったアジア各地の声なき女性たちが、根強い力で、自分たちなりの交流を深めていったその歴史を、様々な視点から熱気に満ちた論調で伝えている。目次を見ると、当時のアジアの女性たちの生活、闘い、そして思いなどをリアルに描いた論文やエッセイが盛りたくさん並んでおり、歴史的資料としても極めて価値の高いものである。

倉沢愛子(慶応大学経済学部教授)

 

「志が宿る本誌は、私たちを勇気づけてくれる」

1967年に発刊した『アジア女性交流史研究』を、山崎朋子氏は10年間続けて来られたという。あつき初志を曲げず揺るぎない姿勢で精一杯、アジアの底辺で生きている貧しい人々の出会いをもとめ、その交流の証である本誌は、資本主義に浸り慣らされている私たちの錆びついた感性と想像力をかきたて、精神を正してくれる。

在日韓国人二世の私自身も、多くの共感と知恵が与えられた。その行間からあふれる執筆者たちの人間的優しさが、私たちの萎えている心に生きる希望、人を愛する勇気、そして在るがままの自分を受け入れることを教えてくれる。 別の言い方をすれば、ひとつの「志のあり方」を記録した本誌は、「アジア女性交流史」という研究誌にとどまらず、21世紀に生きる私たちの必読書であると思う。特に、これからアジアとの新しい関係を築こうとする若者にとってはなくてはならぬ文献である。

宋富子(高麗博物館館長)

 

■アジア女性交流史研究 全18号(1967年11月~77年2月)おもな内容

第1号(1967.11)

「私の会ったアジアの女性たち・その1 朴順天さんと黄信徳さん」山川菊栄

「アジア女性交流史・第1回 海にひびくからゆきさん哀歌」山崎朋子

「戦場慰安婦・雑感 伊藤桂一」

 

第2号(1968.3)

〔詩〕「朝鮮海峡」森崎和江

「日本へ嫁いできたベトナム婦人」坂本徳松

「スメドレーの墓」尾崎秀樹

「明治の海外売娼覚え書」村上信彦

「ある満蒙開拓青少年義勇隊員の記録・第1回」新舟亥三郎

 

第3号(1968.7)

「トーチカの祝いをみて」田中寿美子

「アジア女性交流史 第3回 蒙古教育につくした日本女性」山崎朋子

 

第4号(1969.1)

「大東亜共栄圏と昭和元禄」高井有一

「在韓日本人」藤崎康夫

 

第5号(1969.7)

「対島の海女と韓国人」河野信子

「インドの女性」小山起生

「おかあちゃんの思想」福井稔剛

「私の会ったアジアの女性たち その1 李徳全女史をお迎えして」平塚らいてう

 

第6号(1970.1)

「朝鮮の少女」青地晨

 

第7号(1970.9)

「日米安保条約についての声明」アジア女性交流史研究会

「朝鮮語のすすめ」竹内好

「香港・マニラ・バンコクの印象」江刺昭子

「沖繩の踊りをみて」永井路子

 

第8号(1970.12)

「思い出すまま」安部知二

「『警報読本』と一中国人女子学生」田中真人

 

第9号(1971.4)

「奈良女子高等師範学校の中国人・朝鮮人留学生」中塚明

「いわゆる『内線結婚』について―日朝婚姻関係史の一時期―」金一勉

「第二次「朝鮮教育令」と朝鮮民族の抵抗」欄木寿男

「念願(上)一中国人主婦の成長の記録」馬昭著・今田好彦訳

 

第10号(1971.9)

「アジアと日本のナショナリズム」山辺健太郎

「ある八路軍とともに―連載・その1―」石井出かず子

「差別と戦う若者たち―在日韓国教会の集会から―」山口明子

 

第11号(1972.3)

「日本児童文学における畝傍艦の行方」上笙一郎

「金子文子の朝鮮体験―日本の反逆女性―」金一勉

 

第12号(1972.11)

「児童文化のアジア 日本わらべ唄にみるアジア蔑視」上笙一郎

「『趙君瑛の日記』について―日中関係の一史料―」岡部牧夫

「矢内原忠雄の「植民政策」学―研究ノート―」小竹一彰

「底辺女性よりの証言 アイヌ女性として」岡本頼子

 

第13号(1973.7)

「アジアの旅 美しい響きの名を持つ町々の旅から」水沢周

「アジアの旅 約束の旅」重野幸子

「子どもの頃のアジア観について」村上百合子

「日帝治下における韓国女性に対する教育政策とその抵抗運動に関する研究」丁堯燮・有木憲子訳

 

第14号(1973.12)

「タゴン村の昼と夜 佐江衆一 子どもの頃のアジア観」河野信子

「アジア伝道者の妻として・その1―わたしのアジア体験―」梅森幾美

 

第15号(1974.7)

「子どもの中のアジア」山内協子

「朝鮮生まれの日本人であるということ」清水真砂子

「女の重たさ」梅谷朗子

「テンゲル―ジャワのある特異な社会」床井恵

 

第16号(1974.12)

「中国の女性私見」菊地昌典

「気になっていること―アジアの青年群像―」井上澄夫

「『浮世風呂』のおばあさん」杉みき子

「差別について」清水悦子

「女性史研究高田瞽女」市川信次

 

第17号(1975.10)

「ある感想」鹿野政直

「タイ繊維労働者の実態調査報告」カンチャナほか編・三宅義子訳

「私の生涯―ある植民地生活者の記録―」恩田舟星

 

第18号(1977.2)

「”限りなく日本人に近い朝鮮人”」金錫粉

「日本人の海外旅行」鹿山啓子

「日本ママのフィリッピン訪問」小塩れい

「記録アイヌ・ユーカラ・その1 天界の神様と人間祖先の伝説語り」葛野辰次郎

 

  • B5判/上製本/糸かがり/カバー装/函入/本文710頁
  • 22,000円(本体価格・税別)
  • 2004年1月刊
  • ISBN4-89629-120-4 C3030